2015年4月9日木曜日

私とゲームと

小さい頃、うちは結構な貧乏だったので、みんなが当たり前の様に持っているファミコンを持っていませんでした。
私はどうしても欲しくて欲しくてたまらずに、ある年の正月に、お年玉を兄弟で合わせてファミコンを買うことにしました。
集まった金額はギリギリ、ディスカウントストアで売っているファミコン本体の値段とほぼ同じ額でした。
当時の私には「ソフト」とか「ハード」とかという概念が無く、ファミコンというものを買えばゲームが遊べると思っていたため、いざディスカウントストアでファミコンを買おうとした時に店員さんから、「別にソフトを買わないと遊べないよ」という言葉を聞いた時、驚きと恥ずかしさと「絶望」で目の前が真っ暗になりました。
たかがファミコンですが、それは私にとってとても大きな事だったのです。
その時、お店まで同伴していた父は、そんな私を見てショーケースに並んでいるソフトの中から、比較的安めだった「スパルタンX」を買ってくれました。

忘れもしない、紫色のカートリッジに白黒のカンフー道着を来た主人公の絵がありました。
今思えば、ゲームセンターも行ったことが無い私にとって、自分自身で意識した初めての「ゲーム体験」でした。

父親に感謝しながら本体のスイッチを入れ、画面にタイトルが表示された瞬間の家族の「おぉ~っ!!」という声は、あの時、あの場所、あの家に生まれた私だけの宝物なのかもしれません。

私はいてもたってもおられず、遊びたいとせがむ弟を振り払いながら、早速スパルタンXを遊んでみる訳ですが、ゲームに慣れていない自分にとって「超絶な難易度」に感じました。
やっと行ける一面のボスすら、全く歯がたたないのです。

これだけ待って、ようやく手に入れたファミコンのゲームは、とてつもなく難しく、まさに「絶望」でした。
一日に二度目の「絶望」でした。

でも、反射神経のいい弟は、同じく初めてのはずにも関わらず、スイスイと三面(三階)まで進みました。
ああ、ゲームって何度も失敗して、考えて、挑戦して、それを繰り返す事で前に進めるんだ!!
なあんて事、当時の私が考える訳も無く、自分が進めないその先は何があるんだろうと、弟にコントローラーを渡したまま、とにかく先に進むように命じ、横でそのプレイを見続けました。

ファミコンはとにかくアクションものが多かったのですが、私はどうしてもゲーム内のその先にある何かを見たいがために、毎日の様にそのほとんどのプレイを弟に強要し続けました。
その反動かはわかりませんが、弟は大人になった今では基本的にゲームで遊びません。
どうやら、弟にとってはゲームは数多くある玩具のひとつでしかないのかもしれません。

ともかく私は、ファミコンを手に入れ、学校で友達とその話をできるという権利を得たのでした。
そして、さらに言うなら、「ソフトの貸し借り」という新たな領域に入ったのです。

それからファミコンとともに私は中学生になり、お金持ちの友達が「クリアしちゃった」という一言で貸してくれたのが「女神転生」でした。
何でか細かいストーリーは忘れちゃったのですが、学ランとセーラー服を来た高校生の男女がピラミッドの様な建物に入って敵を味方につけながら戦うRPGです。

このゲームは本当にハマりました。
トロい私には、反射神経は必要なく、RPGはただひたすら自分の時間を使う事で先に進めるゲームという唯一のジャンルだったからです。

しかし、うちの母親はかなり厳しかったので、毎日ファミコンは1時間でした。
RPGを毎日1時間では、全然進まないのです。
仕方がないので、私は家に一台しか無いテレビでファミコンするために、親が寝るまで眠いのを我慢して、テレビのボリュームを最小にして(余談だが、当時うちのテレビはスイッチをひねると音量が変わるタイプ)から夜中から朝までゲームして、それから学校に行くというサイクルをずっと繰り返しました。
何より「攻略本」が無かったため、一度詰まると、ああじゃない、こうじゃないと、ひたすらに時間がかかるのです。
どうしても答えがわからずに学校で友達に聞くと、「こんなのわかるかっ!!!」みたいな内容も多く、それもまた時間がかかる理由でした。

もう、毎日寝不足でもうろうとしていたと思います。
でも言葉にできないほどの満足感と充実感がありました。

結局、他の友達がこのゲームで遊びたがっているからという理由で、最後までクリアできずにソフトを返す事になり、大人になった今だにクリアできていないのですが(もう、徹夜無しでも流石にあのゲームをクリアする気力は今はもう無いです(^_^;))

スマホの安い金額で手軽に大量のゲームが入手できる事は凄い事だと思います。
今がどう、昔は良かったなんて事を言うつもりは全く無いですけども、手軽がゆえに、作り手の想いが届く前にあきらめる事も普通になり、ひとつのゲームを愛でる事で得られる想い出や人生観のきっかけが減っている事は残念でなりません。

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